球は天高く、夢は果てしなく
第6回「大学生活」
2004-02-09

イラスト/ツトム・イサジ
もうしばらく大学時代の話しを続けよう。
お世辞にも、便利だとはいえない所に、大学はあった。
まぁ、正直に言えば、辺ぴな所だ。駅に行くにも、空港に行くにも、時間がかかった。何せ、半島を隔てている(陸続きではあるのだけれど)ので、他大学との交流も少ない、情報も少ない、という有り様だった。
今、思い出しても「よくアンナトコロにいたものだ」と、笑ってしまう。にもかかわらず、少なくとも私にとってのアンナトコロは、とても居心地がよく快適な場所だった。
スポーツを専門に学ぶ、国立の単科大学である。
実に素晴らしい施設が整っている(卒業してから一回しか帰ってないので、以後の詳しい事情はわからないけれど)。
私は、その第一期生になる。
同期は、200人余り。あとは、教授と職員の方々。ずいぶんこぢんまりとしていて、いわゆる“大学”というイメージからは、かなりかけ離れていた。どこかの離れ小島の“分校”のような・・・(笑)。
最初の2年間は、寮生活を送った。
陸上競技部に所属していたから、朝、練習をし、授業を受け、夕方また練習をし・・・基本的には、この繰り返しの毎日を過ごした。
ほとんどの学生も、同じように寮生活を送っていた。皆がどこかのクラブに入り、練習に明け暮れ、授業で出されるレポートの提出に追われていた。あの頃、誰かの部屋から、浜田省吾の「SAND CASTLE」が毎晩聞こえていた。
そりゃまぁ、若気の至りで、ハメヲハズスこともしょっちゅうあったが(そりゃあ、そうだろう)。飲めばみんなで、グデングデンになるまで、飲んでたし。
夜な夜な、天文館に出かけて行っては遊び、桜島フェリーのうどんを食べながら、そのまま朝練習に突入したこともあったような気がする。
よく食べ、よく飲み、よく動いた。
おそらく、あの頃の若者が皆そうであったように、とてもマトモナ大学生活を送っていたと思う。学生同士だけでなく、教授ともよく飲んだ。どちらかといえば授業で受ける知的刺激よりも、教授の看板を下ろし、焼酎を飲みながら赤ら顔で話すひとりの人間の姿から、たくさんの刺激を受けていたような気がする。
エネルギーの発散場所がわからず、好奇心だけがある、まだまだ“無知”な学生達に夜な夜な付き合ってくれる先生達が、いた。とても幸せなことだったと思う。いい師に恵まれたと感謝している。
