球は天高く、夢は果てしなく
第7回「マリンスポーツ」
2004-02-23

イラスト/ツトム・イサジ
大学に入ってから、マリンスポーツを覚えた。
海洋実習キャンプに行き、「一人乗りヨットで、沖のブイを一周して帰って来い」というレースに参加させられ、たった二人だけしか完走出来なかった中の一人に入り、すっかりハマッテしまった。
穏やかに波立つ海に小さなヨットと共に"出航"する。風を読む。早くブイまで行けるルートを察知しながら、ジグザグに進んでいく。他のヨットと衝突してしまうもの、養殖網にひっかかってしまうもの、"沈"してしまうもの。なかなかヨットを意のままに操れない。
ブイをターンする。風が変わる。波が変わる。バシャンバシャンと容赦なく波をかぶる。ヨットの上で必死にバランスを取る。レースを続けられなくなった仲間が次々と曳航されて、浜へと帰っていく。「がんばれよぉ」と声が掛かる。後ろから風を受けて進むのは、なんだかとても難しい。
運良く、帆が上手く風を捉える。ススーッとヨットが進んでいく。何の抵抗も無くビュンビュン進んでいく。人間とヨットと自然との奇妙な一体感が生まれる。それがたまらなく嬉しい。
瀬戸内海の小豆島に、小さな小さな島がある。余島という。そこで一ヶ月、野外教育実習をした。
カヌーを漕いだ。余島から近くの無人島を周って帰ってくるコース。小学生の子供達を乗せ、三人一組で漕ぎ出す。瀬戸内海といってもバカにしたものじゃない。波は手強い。「イ〜チニー、イ〜チニー」掛け声を合わせて漕ぐ。そんなに気張らずに、リズミカルに。先は長い。だんだんに三人の呼吸も合ってくる。
夏の太陽が三人を焦がす。漕いでも漕いでも、景色はほとんど変わらない。単調な作業の中で何かに変化を求めたくなる。空の色、雲の動き、海の匂い、鳥の声・・・なんでもいい。身体中の全ての感覚を研ぎ澄ませ、ささやかな変化を探る。小さな漁船を見つける。行き過ぎるのをじっと眺める。少し気が紛れる。
どれぐらい漕いだのだろう。島が見えてくる。航程はあと半分。つまり、あと同じ時間分を漕ぎ続けることになる。単純作業は続く。飽きたからといって、放棄するわけにはいかない。ここは海の上。覚悟を決める。変化は己の中に起きてくる。三人三様の内なる変化と格闘し続ける。オールの漕ぎ方で、お互いのささやかな変化を読み取る。掛け声はそのうち歌に変わる。声を合わせ大声で歌う。
「かぁ〜ちゃんのためな〜らエ〜ンヤコ〜ラァ」何でも歌になる。そして、漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。ただひたすらに漕ぐ。
もはや誰も何の変化も求めていない。それが解かる。三人の“気”が集中してくる。意識は漕ぐリズムのみに集中する。身体が勝手にリズムする。三人は巨大な一つの塊となる。それが解かる。カヌーが勢いよく海の上を滑る。余島にゴールすることは、三人のゴールではあるけれど、それぞれのゴールではない。各々が、このカヌーの旅で起こった内なる変化の“起承転結”を感じる。それがもう一つのゴール。
スキューバダイビングのライセンスを取りに、徳之島へ行った。
まだ、泉重千代おじいちゃんがおられた頃だった、と思う。一週間、公民館に泊り込んで雑魚寝。
海の中に潜る。耳抜きをしながら少しずつ潜る。10〜20メートル。海の中でも、肺にしっかり酸素を入れられる訓練をする。
とてつもなく透き通った海の中。きびなごの大群が頭の上をシューッと通り過ぎる。太陽光線に照らされて、キラキラと輝いている。追いかけてみるけど追いつけない。
底の砂の上に小さなイカを見つける。透明だ。突っついて、ちょっかいを出してやる。怒ってスミをピュッとかけてきた。おもしろいので、またちょっかいを出そうとしたら、「ヤメロヨナァ〜」っていう感じで、ビヨ〜ンビ〜ヨンと跳ねながら逃げていった。陸の上にも、海の中にも、知らないことがまだまだたくさんある。
